茨城さしま茶史

今日は茨城県西地区に広がる「さしま茶」の歴史を紹介します。
 
先月、ブランド強化を図ろうと「さしま茶協会」が発足され、
何かと注目を集めていますが、さしま茶の歴史は今から約350年前の
江戸時代初期から茶の栽培が始まったと、記録が残されています。
 
江戸時代・関宿藩のすすめ
猿島台地といわれる生産性が低く、やせた土壌や干害にも強く、強風から作物を守る防風垣として栽培され始めたさしまの茶園は当時の先人たちの知恵から生まれたものでした。
そしてこの時代、江戸が一大消費地として栄えるようになると、茶の需要は爆発的に増加し、茶園は関宿藩(現在の千葉県野田市)の財政を支える恰好の租税の対象とされました。
しかし、最初から江戸で茶が売れた訳ではなく、当時のさしま茶の製法は「日乾法」といい、茶の葉を蒸した後、むしろの上で手や足で揉み、日光で乾燥させるだけという粗悪なものでした。
やはり江戸では売れず、埼玉、栃木、群馬県下に販売されていたそうです。
 
製茶法の改良・2人の偉人
江戸時代末期~明治時代前期にかけて製茶法の改良に努めた人々がおり、この時代頃からさしま茶の名声が高まりました。
その1人が現在の坂東市辺田の中山元成という方です。
この方は江戸時代末期に京都・宇治の製茶師を茨城に招き、茶園の改良と手もみ製茶法を学び、茶を蒸すための蒸気釜など茶製具の改良や発明に努めました。
                    e58583e688902                      中山元成

そしてもう1人が野村佐平治という方で、10代で叔父の供をして初めて江戸に出た彼は、日本橋にある山本嘉兵衛(現在の山本山)の店で、宇治茶がさしま茶の25~100倍もの値段で売られていることに非常に驚きました。
そして野村佐平治は嘉兵衛から宇治茶の栽培法と製茶法の伝授を受け、翌年春の収穫期にその製茶法を試したところ、江戸の茶商に高く評価され、「江戸の花」と名付けられ人気を博しました。
佐平治は元成のところへも行き、技術を磨き、茶園管理の研究、指導に努めたそうです。
                     e4bd90e5b9b3e6b2bb                      野村佐平治

さしま茶の輸出
今から約150年前の1854年の江戸末期、日米和親条約が結ばれると、中山元成は先見性を発揮し、来るべき貿易に備えて海外事情や通商を徹底調査し、さしま茶の貿易を計画しました。
紆余曲折を経て、日米通商条約締結の1859年10月10日、さしま茶は初めて海を渡りました。
 
粗悪茶の横行
開港以来、当時茶は生糸と並んで日本の輸出品の重大な地位を占めていました。
その半面、急激な需要増大に応じるために粗製茶や偽茶が横行し、混ぜ物入りの不正茶が出回りだしたのです。
明治15年にはついに、アメリカ議会で不正茶輸入禁止条令が出され日本茶の輸出は急激に減少し、同時にさしま茶も信用を失ってしまうのですが、
ここで中山元成は「茶業組合取締所」の頭取に就任、茨城県内の茶の改善に努めました。
 
「野村流」製茶法
明治20年、野村佐平治は「製茶指針論」を発表、同28年には「野村流緑茶製法指南」を出すなど、中山元成と共に宇治式の製茶法を守るべく、「野村流」製茶法を佐平治らが編み出しました。「野村流」とはホイロの上で行う独特の手もみ技術のことをいい、
その頃県内では、「駿河流(静岡流)」が流行しつつあり、これに対し元成、佐平治らは静岡流が針のように仕上げる茶の葉の形状を重視して揉みあげるのに対し、野村流はあくまでも茶本来の香りや味、色を出すことを重視していたとされています。
明治28年に各地に開設した「野村流製茶練習会」・「野村流製茶伝習所」でその教えを受けたものは千百余名に達したそうです。
明治後期以降、野村流と静岡流はお互いの長所を取り入れ、製法も統合されていくようになりました。
 
それからのさしま茶
明治30年代、製茶貿易市場が静岡県清水港に移転するに至って、さしま茶は貿易から姿を消し、茨城県内外の需要に限られてしまいます。
そして時代は近代化、機械化の一途をたどり、大正4年には猿島郡茶業組合の模範製茶場が境町に開設され、のちに製茶機械が導入されました。
製茶機械が導入されると、それまでの手もみ製茶が衰退するまいと、手もみ製茶を自負する人たちによって機械茶と拮抗する時代がしばらく続きます。
 
激動の昭和 
昭和に入り、大規模農家を中心に機械化が急激にすすみ、「猿島機械製茶組合」が結成され、積極的な活動が行われました。
しかし、戦時色が強まると茶園は麦、大豆、稲などに変わっていきますが、畑の境目にある畦畔茶園が多く存在したため、それほどの減産にならなかったようです。
戦時中の茶製品は、供出品としてすべて取引されました。
 
愛されるさしま茶に
現在の日本茶の生産は中山元成、野村佐平治らの時代とは大きく変化し、全国的にほとんどが機械製造となり、茶摘みにも機械を使うようになりました。
現在、こうして茶業に携わることが出来るのも偉大な先達の努力、強い情熱があってこそですね。